Research Institute for Social Sciences

社会科学研究所

ホーム 研究 社会科学研究所 > News > 社会法においてケアをどう考えるか『ケアという地平 ―介護と社会保障法・労働法―』(法学部 武井寛教授・嶋田佳広教授インタビュー)【社会科学研究所】

社会法においてケアをどう考えるか『ケアという地平 ―介護と社会保障法・労働法―』(法学部 武井寛教授・嶋田佳広教授インタビュー)【社会科学研究所】

2024.08.20

今こそ知りたい社会科学研究の世界へ「社研フロントライン」1

社会科学研究所は1969年の発足以来、社会科学における各分野の枠にとらわれず、様々な分野の研究者との共同研究を推進することで、新たな社会科学の創造と発展に寄与することを目的としています。当研究所の研究成果として出版された『社会科学研究所叢書』シリーズから、今こそ知りたい話題に焦点をあて紹介します。著者インタビューを通じて、社会科学研究のトビラを開いてみませんか?


シリーズ第1回となる今回は、2024年3月に編著書『ケアという地平 ―介護と社会保障法・労働法―』を刊行された法学部の武井寛教授(専門:労働法)と嶋田佳広教授(専門:社会保障法)に、高齢者および障害者のケアをめぐる近時の議論と課題についてうかがいました。 (※以下、武井先生:T、嶋田先生:S)

Q1. まず本書のタイトル『ケアという地平』に込められた思いをお聞かせください。

T「今まで見たことのない所に研究メンバーの皆で降り立った。それが“地平”でした」

S「“地平”という言葉の意味するところは“パースペクティブ(Perspective:観点・視点) ”です。私たち研究メンバーがケアというものが重要な社会的課題だと実感し、サブタイトルに『介護と社会保障法・労働法』とあるように、異なる研究領域の者がそれぞれの観点から取り組み、俯瞰的にケアの問題を捉えようと考えました」

T「コロナ禍においても研究会を定期開催し、研究メンバーの報告以外にも、ケアの問題に関連して知見を提供いただけそうな方を外部講師として招いてお話いただき、研究を進めてきました。結果的に今回の執筆者には多様な研究領域の方が集まり、ケアに関して11章に及ぶ内容となったのです」

Q2. 高齢者と障害者の介護領域に焦点をあてた経緯とは?

S「私たち研究メンバーは、ケア領域について研究を始めてからの年数がさほど経っていないので、はじめにこの研究課題にどう取り掛かっていくかの検討を重ねました。そうした中で、介護保険制度が1つの焦点となってきました。介護保険制度については『頑張っている』とプラスで評価する意見もあるのですが、もう少しシニカルに捉えてみたいと思ったのです。

嶋田佳広(法学部教授)

研究メンバーの中には、障害者の問題を専門的に扱う人もいれば、他の制度との比較や関連性について扱う人もいます。そこで、今回は高齢者と障害者の介護領域に焦点をあて、個々の問題関心をぶつけてみようということになったのです」

Q3. 武井先生、嶋田先生それぞれのご担当章に関連して、研究にあたっての問題関心を教えてください。

S「私の担当章は、『第1部 社会法:第4章 ケアと所得保障(ベーシックインカム)』です。介護領域を広く捉えると、ケアする人の問題/ケアされる人の問題がある中で、私の掲げたベーシックインカムというテーマは少し異質のように映るかもしれません。

背景として、2023年に日本社会保障法学会・第78回大会でベーシックインカムに関するテーマセッションを行った経験があります。ベーシックインカムは、従来の制度枠組みの中ではうまくハマらないことから、多くの社会保障法学者は否定的な立場をとってきました。そうした中で、私自身の視野を広げるべくセッションの企画に携わり、新たな気づきや研究メンバーとの出会いがありました。その後、今回の出版に向けて執筆するにあたり、ケアの問題をお金の点からアプローチする方法があるのではないかと考えました。

介護保険制度をベーシックインカムのインカム(所得)の視点として捉えるのではなく、ベーシック(基礎的)自体を問題の軸に据えてみた。するとインカムの保障ではなくサービスの保障、つまり“ベーシックサービス”の必要性が見えてきたのです。日本の制度枠組みというのは、高齢者や障害者を介護保険制度上の何に該当するかを判定・認定し、認定内容に基づいてサービスの提供を受けられるというもの。このように対象者を区別することによって制度を成立させるのではなく、ユニバーサルな視点で介護保険制度を捉え直しできないかと思うに至ったのです。

個人的な見解としては、今の日本ですぐにひとり10万円のベーシックインカムを保障することは難しい。しかし、すぐには実現できないとはいえ、大切なのは『お金を使う』という意思の問題で、実際に経済的に困っている人がいる現状があるなかで、『必要なお金を適切に使うには?』と考え始めることが必要です。

また、生活保護には差別的な運用が残っていたり、高齢者と障害者の制度上の分断(障害者が65歳になると介護保険制度に組み入れられ、従来の障害者のための福祉サービスを受けられなくなる)という問題があったりするのが現状で、『お金がないから』を理由に後回しにし続けて良いのでしょうか。お金の論理だけで物事を捉えて判断することは非常に危険。そこに法的な視点が必要で、ケアには人権へのまなざしが欠かせません」

T「私の担当章は、『第1部 社会法:第1章 ケアの議論に学ぶ―社会法についてケアをどう考えるか』と本書の冒頭で、ケアの議論を概括的にレビューするものです。 私は、労働者としての介護労働者の問題をとりあげたかったのですが、その前にケアをめぐる議論を知らなければいけないと思い、勉強をはじめました。ケアに関わる労働者を労働法でどう扱うべきか、という問題を念頭に取り組んでみましたが、実は私の書いた文章はその準備作業に終わったというのが率直なところです。

経済の領域では、ケア労働というものをシャドーワーク(人目につかない陰の仕事)と呼ぶように、要するに資本主義的な解釈では利益を生み出さないケアの領域を軽んじてきたように思うんですよね。しかし、資本主義社会に対して掣肘を加えるのがケアというものではないでしょうか。金を生み出すことが全てではないですよ、と。翻って言えば『(経済至上主義を唱える)あなたもケアが必要となった時、ケアする人をどうするんですか?』ということです。そこで、ケアに関わる労働者への軽視という現状に問題意識を持ちつつ、では前に進むにはどうすれば良いのかということを考えてきたのが、私たちの研究チームです」

武井寛(法学部教授)

S「介護保険制度が実現してきたことが一定あることは確かでしょう。一方で、武井先生がおっしゃった通り、これまでケア労働はシャドーワークやアンペイドワークと呼ばれ、家庭に押し込められ、見えないものとされてきた面があります。それが社会側の変化により家庭内の対応には無理が生じ、介護保険制度によって“ケアの社会化”が進んできたのでしょう。ただ、介護労働の産業化にまでは至っていない。それゆえに訪問介護従事者が非正規雇用で、細切れの労働を行っているという不安定な労働実態があるのも事実。しかも、そうした保障の薄い労働者が介護保険制度や介護市場を支え始めている実情すらあるのです。この点については制度上の見直しが必要で、物事を局所的に見て評価せず、制度を持続的に運用していくために広い視点で捉えていくことが大切です」

T「やはり最終的に行き着くのは、労働時間の問題でしょう。今の世の中、皆が忙しく働いているじゃないですか。要するに、皆が1日の中で5時間働けば生きていける世の中であれば、介護はお互いに助け合いながら対応できるかもしれない。しかし、今は多くの人にとって介護に充てる十分な時間がないから、どこかから人を連れてきてやって貰おうという発想になる。これは18世紀からずっと言われていることですが、“(社会全体の)労働時間の短縮”、これに尽きるような気がします。その向こうにしか未来はありません」

Q4. ケアというものはさまざまな関係性の中にあるものだとすると、現行の制度で特に対応が困難な点、あるいは改良が望まれる点はどのようなものでしょうか?

T「関係性の話に引き付けて言うと、介護保険制度を作る際に要介護認定については、担当者個人の裁量で判定が左右される可能性を排除するために、現場で費やされる時間から帰納的に割り出す方法が採用されたようです。つまり、『この作業は何分かかるから幾らだ』というふうに点数化したのです。ケアに関わる労働や作業を切り取って個別化したものを点数で表し、お金に換算するという仕組みが介護保険制度なのだと、設計者は説明している。でも、ケアを望む人はそうしたこととは関係がなく、必要な時に必要なケアを望んでいます。そうした状況をみると、『時間の観点でケアに関する物事を考えてはいけない』と思うんですよね。法哲学会の議論(法哲学会2014年シンポジウム『ケアの法 ケアからの法』)でもそのように仰っている方がいて、私も同感です。だからこそ、労働時間は短く、かつ働く人は時給換算で雇用されるのではなく、柔軟に対応できるように安定した雇用が必要です。そうした安定した雇用環境というものを、社会の側がちゃんと手当てすること。卑近な言葉でいえば労働者に適切なお金を払うこと、生活を支えること。そういった制度でなければいけないのです」

S「訪問介護従事者の労働形態や保険点数の時間換算の問題は重要で、時間というものは誰しも1日24時間と平等です。それをどう使うかという時に、どうしても資本の論理が入ってくる。昨今スキマバイトなどが取り沙汰され、ますます時間単位で人を労働させようという風潮があります。人間の体は1つですからあれもこれもと頑張りすぎると、必ず無理が出てくるもの。しかも社会の中で報われない労働や正当な対価を得られない労働だと、誰しもすり減ってくるものです。かといって、旧来の日本型終身雇用の中での『24時間働けます!残業はして当たり前』という風潮が認められるものではなく、日本におけるケア労働の課題は二重にも三重にもあるのだと思います。

嶋田佳広(法学部教授)

家庭や地域、職場における関係性については、それ自体が適切で健全なものだと良いのではないでしょうか。現時点でも制度矛盾が生じていることは指摘できますが、私としては、今後ますます雇用環境や労働社会が破壊されていって貧困問題が頻出し、最後は社会保障の問題として押し寄せてくるのが問題だと考えます。やはり健全な労働社会でないと、健全な社会保障にはならないと思います。だからこそ、ケア労働に支えられている社会自体がその従事者に無関心で良いわけがありません」

Q5. さいごに本書全体を通しての気づきや、超高齢社会を迎えた日本社会の展望をご教示ください。

T「やはり労働時間の短縮ですね。言い換えると、あくせく稼ぐことだけを目的にしないで、皆がお互いを気にかけながら生きていく。やはりそういう社会が良いんじゃないかなと思うんです。

それを支える仕組みとして社会保障制度があるのだと思いますが、本来あまり表に出てこなくても良いようなことが、『これは大変だから社会保障がないと困る!』という声と共に表出していくような状況。今は社会保障制度の出番で、この制度に頑張ってもらわないと困るような社会だということですよね。そうではなく、あたりまえにそこに制度があって、だれもが気兼ねなく、よりかかれるような社会がいいと思います」

武井寛(法学部教授)

S「もちろん介護分野に魅力を感じて飛び込んでくれる若い方々もいると思います。ただ、そうしたケア労働従事者の頑張りに依存して、燃え尽きるままにしてしまい、長続きしづらい現状があります。社会保障領域の話には“SDGs”や“サステナブル社会”といったキーワードが良く出てきますが、現代社会はあまりにも色んな回転が早くなりすぎてしまっています。何事にも効率性と経済性を追求するような歪んだ風潮を変えていく必要があるのではないでしょうか。

本書では専門領域だけの局所的な議論にならないように、なるべく全体的に現在のケアの問題を捉えようと試みました。ケアの問題を考えるうえでは、視野を広げること/専門的な議論を深めること、その両輪が必要です。私たち研究メンバーも議論の技術を磨かなければと思いつつも、まだ道半ばです。ただ、このままでは深刻な状況に陥ることは確かですので、その現状に一石を投じた本書を手にとって、一つでも二つでも気づきを得ていただければ幸いです」

今回の話題に興味を持たれた方は、ぜひ書籍をご覧ください。


◯今回のピックアップ書籍:
武井 寛=嶋田 佳広 編著『ケアという地平 ―介護と社会保障法・労働法―』龍谷大学社会科学研究所叢書 第146巻(日本評論社、2024年3月)
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/9215.html

<概要>:
「高齢者と障害者のケア」をめぐる世界的議論と動向を意識しつつ、コロナ禍があらわにした理論的諸課題を社会法の視点から考察した一冊。
第1部では、ケアの議論をめぐる世界的な動向を意識しつつ、そこにはらまれている理論的な課題の検討を行っている。第1章ではケアの議論のトレースを行い、第2章から第4章においては労働法・社会保障法およびベーシックインカムとの関連で理論的課題を探っている。引き続く章では、国際的な動向(第5章)とドイツとの比較を通じた介護保障のありかた(第6章)、イギリスのケアラーをめぐる議論(第7章)を検討。第2部では、日本における具体的な問題が分析され検討が加えられている。介護保険の財源問題(第8章)を皮切りに、自治体の役割の検討(第9章)が行われ、続く最後の二つの章では障害者支援(第10章)と障害者家族のケア責任(第11章)に焦点があてられている。

※本書は、社会学研究所・2020年度〜2022年度 共同研究「働き方の『多様化』戦略」と雇用保障・社会保障システムの産業別構築」(研究代表・木下秀雄)をもとに編まれた。